民話 語りっこ 学びっこ

10月29日(土)13:00~17:00
塩田公民館において「民話 語りっこ 学びっこ」を開催しました。
「民話フェスティバル」15年(1998~2012年)、「民話のひろば」5年(2014~2018年)に続いての企画です。
コロナ禍の中、半日開催に絞っての開催でしたが、70名近い参加者にお出でいただきました。
参加いただいたみなさま、また、情報発信をしていただいたマスコミ、ご協力いただいた関係者のみなさまに感謝申し上げます。

学習講演会 13:00~14:30
塩田平民話研究所長 稲垣勇一が、「山人・暮らし・山姥伝承」と題した講演を行いました。
講演の要約
文献に歴史上初めて「山姥」が登場するのは、室町時代の謡曲「山姥」(世阿弥 作)。「百万山姥」の異名をもち曲舞(くせまい)を得意とする白拍子が、善光寺詣でのために京都から出立し越中・越後境の上路(あげろ)越えをする際、本物の山姥に出会う。山姥の謡いの中で、山姥の真髄(輪廻妄想・山を巡り、生まれも知らず)が語られる。
江戸時代には、喜多川歌麿の浮世絵「山姥金太郎盃」や長澤蘆雪「山姥育児図」にも山姥が描かれている。蘆雪の山姥像からは、山人の暮らし、山人に対する里人の視点が窺える。とりわけ、大きな笠に着目したい。
赤坂憲雄著『漂泊の精神史』の中の「平地人のコスモロジー」の図に、山人と里人の関係性を見ることができる。境界となる場所に設営された神社は、両者の交易の場となっていたことを物語る。両者をつなぐ漂泊人の中から、職能人が発生している。里人からの視点で見た山人の象徴化が「山姥」につながる。
鬼女は現世(人間界)の怨念によって表出したものであり、現世と異界との境界に出現し、現世と行き来し現世に戻ることもあり得る。一方、山姥は異界に存在する。
斉藤隆介作・滝平二郎絵『花さき山』の山姥は、現代人がとらえた山姥像の一つである。
稲垣自身は、下伊那の民話「焼棚山の山姥」をこよなく愛する。里人との深い交友を求め里人に尽くしながら、偏見の中で殺されていく山姥の哀切さに強く惹かれる。
民話は、すべて里人側からの視点で描かれている。山人側から描かれた民話は見当たらない。そうした民話を見つけ出すことができないものか。

 

民話語り発表会 14:30~16:00
以下の演目が語られました。
 塩田平民話研究所  「鬼の面とお福の面」市川和枝 「百匁ろうそくとお婆」金箱陽子
 民話塾スマイルキッズたんぽぽ 「一休ばなし」土屋叶実
 六合の文化を守る会 「さる地蔵」山本 茂 「河童伝説」安原キヌエ
 塩田平民話研究所  「山姥の反物」豊田美和子 「喰わず女房」坂井弘子 「舞の川の山んば」坂井 弘
民話塾スマイルキッズたんぽぽは、稲垣所長指導による子ども対象の民話の語り講座。土屋叶実さんは小学校4年生。語りに入ると、会場がいっぺんに華やぎました。
六合の文化を守る会のお二人には、群馬県中之条町から車で2時間かけてお出でいただきました。

交流会 16:00~17:00
14人が参加。
交流会で話題にされたこと
怖い山姥は、里人側からの視点で描かれたもの。山姥に想いを寄せて語ることには元々無理がある。山姥に想いを寄せて語ろうとするのであれば、やさしい山姥の話を選ぶ以外ない。
山姥は酒・餅が好き。酒や餅は神への供物であることとつながっている。

2022年10月29日